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【ルパン三世の愛車SSK】歴史的名車の現在価値・レプリカ事情・プラモデル制作ガイド

記事の主題を表すイメージ メルセデス・ベンツ

アニメ『ルパン三世』の第1シリーズで、硝子を突き破るような鮮烈なオープニングとともに僕たちの脳裏へ焼きついた孤高のマシンが、メルセデス・ベンツSSKです。

実車はフェルディナント・ポルシェ博士が手がけた戦前最高峰のレーシングスポーツであり、世界でわずか30数台しか作られなかった歴史的文化財として、現代のオークションでは数億円から8億円規模で取引される究極のコレクターズアイテムとなっています。

手に入れることが極めて困難な雲の上の存在だからこそ、国内外のコーチビルダーによるレプリカや、情熱を注ぎ込める精密なプラモデルを通じて、その造形美とロマンを我が手元に手繰り寄せる愛好家が後を絶ちません。

車は単なる鉄の塊ではなく、関わった人々の魂と記憶でできている。
僕はハンドルを握り、あるいは設計図を眺めるたび、その奥にある熱い息吹を言葉で再生したいと願ってやみません。

今回は、メルセデス・ベンツSSKという不世出の名車が持つ真の姿から、驚くべき現在価値、知られざるレプリカの世界、そしてルパン仕様を再現するプラモデル制作の醍醐味まで、そのすべてを深く紐解いていきます。

ルパン三世が愛したメルセデス・ベンツSSKとは?驚異のスペックと劇中カスタム

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※画像はAIによるイメージ

ルパン三世の愛車といえば、後年のTVシリーズや映画『カリオストロの城』で親しまれた黄色いフィアット500を思い浮かべる方が多いかもしれません。

しかし、酸いも甘いも噛み分けた往年のクルマ好きや初期作品のファンにとって、ルパンの魂を宿した真の相棒といえば、まぎれもなく第1シリーズ(1971〜1972年)を駆け抜けたメルセデス・ベンツSSKです。

宮崎駿氏はかつて「SSKはルパンが金に不自由していなかった頃の愛車で、チンクエチェント(フィアット500)は金に困っている時期の愛車」と語ったと伝えられています。

巨万の富を自在に操り、世界中を股にかけた若き大怪盗が、世界最高峰の鋼の猛獣を手懐けていたという構図は、それだけでたまらなくスリリングな美学を放っていました。

アニメの劇中で描かれたSSKは、車体後部に2本のスペアタイヤを背負い、巨大なワイヤースポークホイールを履かせた実車の佇まいを色濃く残していました。

しかし、よく目を凝らすと、ラジエーターグリルに輝く象徴的なスリーポインテッドスターは十字型のエンブレムへとアレンジされ、本来レーシングユースには存在しないフロントバンパーが備わるなど、アニメーションならではの独自のアレンジが施されています。

さらに驚かされるのは、その心臓部に隠されたメカニズムの秘密です。

公式の設定資料によると、ルパンが駆るSSKはオリジナルに積まれていた直列6気筒エンジンを降ろし、なんとフェラーリ製のV型12気筒エンジンへと換装されていました。

ドイツの堅牢無比なシャシーに、イタリアの情熱的な跳ね馬の心臓を移植し、最高時速は300km/hに到達するという設定は、並のレーサーを凌駕する腕前を持つルパンならではの狂気とこだわりを感じさせます。

本来のSSKは運転席と助手席の2座席(ロードスター)ですが、劇中では次元大介はもちろん、峰不二子や石川五ェ門まで無理やり乗り込み、煙を上げて疾走するコミカルなシーンもありました。

無骨でありながらどこか気品を漂わせるその姿は、時代を超えて自由を愛する大人たちの憧れであり続けています。


わずか33台の幻!フェルディナント・ポルシェ博士が遺した「最後のメルセデス」

アニメの世界から現実のモータースポーツ史へ目を向けると、メルセデス・ベンツSSKはさらに凄まじい伝説を背負っていることに気づかされます。

SSKが誕生したのは1928年のこと。
当時ダイムラー・ベンツ社で設計統括を務めていたフェルディナント・ポルシェ博士が、同社を去る直前に手がけた「最後のメルセデス」として歴史に刻まれています。

1926年にカール・ベンツのベンツ社と、ゴットリープ・ダイムラーのダイムラー社が合併して生まれたダイムラー・ベンツは、新生ブランドの威信をかけてハイパフォーマンスカーの開発に挑んでいました。

そこでポルシェ博士が生み出したのが、傑作グランドツアラーである「モデルS(タイプS/W06)」でした。

モデルSは優れた性能を誇ったものの、大柄な車体ゆえに旋回性能に課題を抱えており、曲がりくねった山道を駆け上がるレースでは持て余す場面が見受けられました。

そこで翌1928年、排気量を7.1リッターへと拡大した「SS(Super Sport)」を発展させ、ホイールベースを大幅に切り詰めて運動性能を研ぎ澄ませたマシンが開発されます。

これこそが、「SSK」の誕生の瞬間でした。

車名に刻まれた「SSK」とは、ドイツ語の「Super Sport Kurz(スーパースポーツ・クルツ)」の頭文字に由来しています。

「Kurz」とは「短い」を意味する言葉であり、文字どおりショートホイールベース化された過激なスポーツモデルであることを示しています。

本来であればSの短縮版として「SK」と名付ける選択肢もありましたが、同時期に展開されていた高性能モデル「SS」との血統の近さを強調するため、あえて「SSK」という名が与えられました。

ポルシェ博士が目指したのは、並み居るライバルをコーナーでねじ伏せる圧倒的な俊敏性でした。

そのために車体フレームの中央部を弓なりに湾曲させて前後車軸のクリアランスを稼ぎ、低重心化を徹底。
サスペンションのリーフスプリングを車軸の下側に配置するアンダースラング構造を採用し、エンジン搭載位置も極力車体後方へ下げたフロントミッドシップレイアウトを構築しました。

総重量2,000kgに達するヘビー級の鋼鉄ボディでありながら、この緻密な重量配分とショートホイールベース化によって、SSKは当時のいかなるマシンよりも鋭敏な回頭性を手に入れたのです。

SSKの公式な製造台数は、後年の軽量化仕様であるSSKLを含めてわずか33台(資料によっては37台、あるいは42台とも記録される)にとどまります。

現行モデルとしてカタログに掲載されていた期間も1928年から1932年(カタログ掲載は1933年2月まで)と極めて短く、まさに彗星のごとく現れてサーキットを支配した幻の名車でした。


荒ぶる直6エンジンと咆哮するスーパーチャージャー「白象の咆哮」

メルセデス・ベンツSSKのボンネットの下に収められていたのは、巨大な排気量を誇る「M06型」直列6気筒7,069cc(資料により7,065cc〜7,079cc)SOHCエンジンです。

ボア径100mm、ストローク長150mmというロングストローク設計のシリンダーから絞り出されるトルクは、非過給時でも450Nm以上、最高出力140〜180馬力という強大なものでした。

しかし、SSKの真の恐ろしさは、アクセルペダルを床まで深く踏み込んだときに初めて目覚める「過給システム」にありました。

この時代、過給機といえば航空機用技術の応用であり、日常的に効かせるような代物ではありません。
SSKに搭載されたルーツ式スーパーチャージャーは、ペダルを限界まで押し込んだ瞬間にメカニカルクラッチが繋がり、猛烈な過給圧をシリンダーへと送り込む構造になっていました。

過給が始まった瞬間、エンジン出力は一気に200〜250馬力へと跳ね上がり、最大トルクは562Nm(約57.3kgm)/1,900rpmという、現代のスーパースポーツをも凌駕する極太の駆動力を発生させました。

最高速度は当時の市販車として前人未到の領域だった185〜192km/hに達し、ギアレシオやチューニング次第では200km/hの大台を突破。

サーキット専用に仕立てられた「エレファント」と呼ばれる大容量ブロワーを装着したワークスマシンに至っては、過給時に275馬力から最大300馬力近くまで絞り出されていたと伝えられています。

スーパーチャージャーが空気を圧縮する際、ボンネット内部からは金属が擦れ合うようなすさまじい風切り音とメカニカルノイズが響き渡りました。

当時のドイツのナショナルカラーであった純白の車体と、耳をつんざくような過給音から、人々はこの車を畏敬の念を込めて「ホワイト・エレファント(白象)」、あるいはそのブロワーを「エレファント・ブロワー」と呼んだのです。

車体側面のルーバーを突き破るように露出した片側3本ずつのフレキシブルなエキゾーストパイプは、過給がかかると火花とともに耳を劈く爆音を撒き散らしました。

巨体を揺らしながら猛然と加速していくその姿は、同時代のレース関係者の度肝を抜くのに十分すぎる迫力に満ちていました。

1928年7月29日、ドイツで開催されたガベルバッハ・ヒルクライムでデビューを飾ったSSKは、名手ルドルフ・カラツィオラの手によっていきなりコース新記録を叩き出し、完全勝利を収めます。

翌8月のレースでも連勝を重ね、本来はヒルクライム専用機として構想されていた計画を変更させ、ダイムラー・ベンツのワークスチームに「通常のサーキットレースでもSSKを主戦力にする」と決断させたほどでした。

しかし、その圧倒的なパワーの代償として、SSKを御するのは容易ではありませんでした。

巨大な4本スポークのステアリングホイールはノンアシストゆえに極めて重く、ギア比もスロー。
当時のライバルであったベントレーのチームマネージャーからは、「せっかくの低重心も、重くて鈍いハンドリングが相殺してしまっている」「全開にしなければ過給されないスーパーチャージャーは、シビアなレース展開では扱いにくい」といった手厳しい評価を下されることもありました。

事実、雨やダートが入り混じる過酷なレースにおいて、強大なトルクに翻弄されたSSKは幾度となく激しいクラッシュに見舞われています。

繊細な最新鋭電子制御など影も形もない時代、ドライバーは己の腕力と研ぎ澄まされた体幹だけを頼りに、荒れ狂う白象の背中に跨り続けていたのです。


【最新相場】メルセデス・ベンツSSKの現在価値と天文学的オークション記録

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※画像はAIによるイメージ

世界中のカーコレクターにとって、メルセデス・ベンツSSKは「手に入れることが奇跡」と呼ばれる聖杯のひとつです。

もともと33台ほどしか生産されなかったうえに、その半数以上が過酷なレースへと投入されたため、多くの個体がクラッシュで失われました。

生き残った車両も、他の壊れた個体からパーツを移植し合う「共食い整備」によって命脈を繋いできた歴史があります。

そのため、製造当時の完全なオリジナル状態を維持して現存しているSSKは、世界中にわずか4〜5台程度しか存在しないと言われています。

この極限の希少性と歴史的価値が、国際的なクラシックカー市場において天文学的な取引価格を生み出してきました。

特に世界を震撼させたのが、2004年9月にイギリスの名門オークションハウス「ボナムズ(Bonhams)」に出品された1929年型SSKの落札劇です。

激しい競り合いの末についた価格は、なんと417万ポンド(当時の為替レートで約740万USドル、日本円にしておよそ8億円)。

この記録は、当時の自動車オークションにおける史上第2位の最高額落札記録として、世界中のメディアで大々的に報じられました。

その後もクラシックカー市場の成熟に伴い、伝説的な個体は美術品以上の価値を持つアセットとして厳重に保護されています。

近年ではRMサザビーズなどの格式あるオークションにおいて、レース履歴や来歴に応じ、2億5,000万円から数億円規模のレンジで取引される事例も見受けられますが、そもそも市場に姿を現すこと自体が数年に一度の事件です。

SSKの中でも特に有名な個体として知られるのが、1930年型の「SSK カウント・トロッシ」です。

イタリアの貴族でありレーサーでもあったカルロ・フェリーチェ・トロッシ伯爵がデザインを手がけ、流麗なティアドロップ型のフェンダーと漆黒の流線形ボディを架装したこのワンオフモデルは、現在、世界的ファッションデザイナーであり屈指のコレクターでもあるラルフ・ローレン氏のプライベートコレクションに収められています。

その優雅で妖艶な佇まいは、数あるクラシックカーの中でも最高峰の芸術作品として、今なおコンクール・デレガンスの舞台で燦然たる輝きを放っています。

当時あまりの人気の高さに入手できなかった富裕層が、姉妹車である「モデルSS」のシャシーを短く切り詰めて「SSK仕様」へと仕立て直した個体すら存在し、そうした車両ですら現在では立派なヒストリックカーとして高額で取引されているほどです。

SSKを手に入れるということは、数億円の資金を用意することだけでなく、自動車の黎明期を切り拓いた先人たちの情熱と記憶を丸ごと受け継ぐ覚悟を持つことを意味しています。


憧れを手にする選択肢!「SSKレプリカ」の歴史と中古車市場のリアル

「数億円を積んでも手に入らない本物のSSKを、この手で走らせたい」──そんな自動車ファンの切なる願いに応えるようにして発展したのが、レプリカカーの世界です。

実は、SSKはそのアイコニックなロングノーズ・ショートデッキのプロポーションゆえに、世界中で数多くのレプリカが製作されてきた歴史を持ちます。

その代表格として知られるのが、アメリカの「エクスカリバー(Excalibur)」です。

名デザイナーのスティーブンス兄弟がメルセデス・ベンツSSKの優美なスタイリングをモチーフに設計し、スチュードベーカーやシボレーの頑丈なV8エンジンと現代的な足回りを組み合わせて1965年から市販を開始。

1990年までに3,500台以上が生産され、信頼性の高いアメリカンV8のパワーで日常的にクラシカルなオープンエアを楽しめるラグジュアリーカーとして、独自のブランド地位を確立しました。

そして日本においても、SSKに魅せられた情熱的なエンジニアたちが存在しました。
富山県に本拠を置く光岡自動車の前身である「BUBU」が手がけた、「BUBU クラシックSSK」です。

1987年(昭和62年)に発表され、昭和63年8月からわずか200台限定で発売されたこのマシンは、光岡自動車が本格的なオリジナルカー製造へと舵を切るきっかけとなった記念碑的なモデルでした。

BUBU クラシックSSKの骨格には、なんと空冷ビートル(フォルクスワーゲン・タイプ1)のシャシーとパワートレインが用いられています。

車検証上の型式や車名はフォルクスワーゲンとなっており、FRPで精緻に成形された美しいクラシックボディを纏っていました。

ロングノーズの先端には誇らしげにスリーポインテッドスターが掲げられていますが、フロントフードを開けるとそこにあるのはエンジンではなくトランクスペース。

本物のSSKが7.1リッター直6をフロントに積むFRであるのに対し、BUBUクラシックはリアに1.6リッター(1,584cc)の空冷水平対向4気筒「AH型」エンジンを搭載し、後輪を駆動するRRレイアウトを採用していました。

最高出力はわずか50馬力、車両重量は740kg。
スペックこそ本物とは対照的ですが、全高わずか1,220mmという地を這うようなスタイリング、風防を前方に倒して風を全身で浴びる快感、そして4速MTを回転数を合わせながら操る歓びは、まさにエンスージアストが夢見たクラシックカーライフそのものでした。

当時の新車価格は295万円。
現在、日本国内に現存する個体は20台前後とも言われており、中古車市場に出回ることは滅多にありません。

現在の中古車市場を見渡すと、稀にこうしたクラシックレプリカやカスタムビルドのSSKスタイル車両が流通することがあります。

直近の国内中古車情報では、直列6気筒2.8リッターエンジン(おそらくメルセデス製M110型などの換装)を搭載した1925年スタイルSSKレプリカのカスタム車両が、車両本体価格950万円(支払総額980万円前後)というプライスタグを掲げて登場した事例が確認されています。

項目 メルセデス・ベンツ SSK(本物・1929年型) BUBU クラシックSSK(光岡自動車・1987年)
生産国 ドイツ(ダイムラー・ベンツ) 日本(BUBU/光岡自動車)
生産台数 約33〜37台(現存完全体4〜5台) 限定200台(現存約20台とされる)
エンジン 直列6気筒 7.1L SOHC + スーパーチャージャー 空冷水平対向4気筒 1.6L(VW製)
駆動方式 FR(フロントミッドシップ) RR(リアエンジン・リアドライブ)
最高出力 200〜250馬力(レース仕様最大300馬力) 50馬力
車両重量 約1,400kg(車体)/ 2,000kg(総重量) 740kg
最高時速 約185〜192km/h 約120〜130km/h前後
市場価値 約2億5,000万〜8億円規模 約300万〜1,000万円前後(希少車相場)

本物のSSKを手に入れることは叶わなくとも、こうした情熱的なレプリカを通じて、往時のレーシングスピリットやルパン三世の気分をリアルな路上で味わうという選択肢は、今も色褪せない魅力を放っています。


机上に蘇る怪盗の愛車!1/24スケールプラモデル制作ガイド

「実車やレプリカの維持はハードルが高いけれど、あの美しい造形を自分の手で組み上げ、書斎のデスクで愛でたい」──そんな想いを叶えてくれるのが、スケールモデルの世界です。

SSKのプラモデルキットとして、世界中のモデラーから長年親しまれている決定版が、アメリカの老舗模型メーカー・リンドバーグ(LINDBERG)からリリースされている「1/24スケール 1929 メルセデス・ベンツSSK(ITEM: LN72326)」です。

定価4,180円(税込)前後で流通しているこのキットは、完成時の全長約17cmというコンパクトなサイズの中に、戦前レーシングカーの精緻なメカニズムが凝縮されています。

現代の接着剤不要のスナップフィットキットとは異なり、バリを取り、パーツの合いを確かめながらじっくりと組み立てていく、クラシカルな模型作りの醍醐味を存分に味わえる逸品です。

このキットをストレートに組むだけでも迫力ある1929年型レーサーが仕上がりますが、せっかくなら「ルパン三世仕様」のSSKを自分の手で創り上げたいと考えるファンも多いはずです。

そこで、机の上にあの黄色い怪盗の愛車を降臨させるための、こだわりの制作ステップとディテールアップの要点をまとめました。

  • ボディの整形とイエロー塗装

ルパンのSSKを象徴するのが、鮮やかなレモンイエローのボディカラーです。
成型色のままでは透けやすいため、まずは丁寧な下地処理が欠かせません。
ペーパーがけでパーティングラインを消したあと、グレーのサーフェイサー、次に発色を良くするためのホワイトサーフェイサーを重ね塗りします。
その上から、鮮やかさと落ち着きを兼ね備えたイエロー(クレオスのキアライエローやタミヤのキャメルイエローなど、好みの劇中イメージに合わせて調色)を数回に分けて吹き重ね、最後にクリアコートで深く濡れたようなツヤを導き出します。

  • 直6エンジンの組み立てと配線ディテールアップ

ボンネットフードは完成後も開閉可能な構造になっており、ポルシェ博士入魂の7.1リッター直6エンジンをじっくりと眺めることができます。
シリンダーブロックを重厚感のあるガンメタルやセミグロスブラックで塗り分け、スーパーチャージャーのコンプレッサーハウジングをアルミシルバーで際立たせます。
腕に覚えのある方は、極細のビニールコードや真鍮線を使ってイグニッションコード(プラグコード)をシリンダーヘッドへ配線するだけで、一気に密度感が跳ね上がり、実車さながらの迫力が宿ります。

  • メッキパーツの質感コントロール

キットには、象徴的な縦長フロントグリルや、ボンネット脇から飛び出す3本ずつのエキゾーストパイプ、スポークホイールなど、豊富なメッキパーツがセットされています。
しかし、そのままでは玩具っぽいピカピカ感が出てしまうこともあります。
エキゾーストパイプには薄めたスモークやクリアブルー、クリアオレンジを軽く筆塗りし、過給時の排気熱で焼けた金属の風合いを表現すると、ぐっとリアリティが増します。

  • ルパン仕様へ近づけるセミ改造テクニック

劇中車を忠実に再現する場合、フロントグリル中央のスリーポインテッドスターを削り落とし、真鍮線やプラ板で小さな十字型エンブレムを自作して取り付けるのが通の楽しみ方です。
また、実車キットにはないフロントバンパーをプラ材から削り出して新設したり、コクピットのウッド調インパネをエナメル塗料の木目調塗装で仕上げたりすることで、世界に一台だけの「ルパンのSSK」が机上に完成します。
リアエンドには2本のスペアタイヤをしっかりと固定し、サイドウォールのホワイトリボンを綺麗に塗り分けることで、後ろ姿からも物語の余韻が香る仕上がりとなります。

接着剤の匂いとともにパーツをひとつずつ噛み合わせ、かつてポルシェ博士が図面に引いたラインを指先でなぞる時間。
それは、現代のデジタルな日常から解き放たれ、1920年代の熱狂とアニメのロマンへダイブする至福のひとときと言えるでしょう。


【考察と見通し】なぜ私たちは「ポルシェが遺した白象」に焦がれ続けるのか

自動車ライターとして、そして走る機械の哲学を見つめてきた一人の人間として、僕はSSKという存在の前に立つたび、言葉にしがたい畏怖の念を抱かずにはいられません。

自動車の歴史を振り返ったとき、1920年代後半という時代は、まさに内燃機関が「馬車からの脱却」を終え、「地上の覇者」へと狂気的な進化を遂げていた過渡期でした。

その頂点に立っていたのが、若き日のフェルディナント・ポルシェであり、ダイムラー・ベンツの精鋭たちでした。

現代のクルマは、極めて賢く、安全で、環境に優しい工業製品です。
スリップすれば瞬時にトラクションコントロールが介入し、ステアリングを切れば電動パワーステアリングが軽々とタイヤの向きを変えてくれます。

しかし、SSKにはそうした手加減が一切ありません。

7.1リッターの大排気量シリンダーを圧縮し、アクセルを底まで蹴飛ばした瞬間に耳をつんざく咆哮とともに炸裂するスーパーチャージャーの過給圧。
弓なりの鋼鉄フレームが軋みを上げ、ノンシンクロのトランスミッションをダブルクラッチで力づくで叩き込む。

そこにあるのは、効率や利便性といった甘美な言葉を一切排除した、「速さと勝利」のためだけに削ぎ落とされた純粋な機械の狂気です。

ベントレーのマネージャーが「重くてスロー」と吐き捨てたステアリングの鈍重さも、見方を変えれば、時速200km近い超高速域で直進安定性を保ち、荒れた未舗装路を突き進むための「メルセデス流の重厚な哲学」そのものでした。

ルパン三世の原作者やアニメ初期のクリエイターたちが、数あるクラシックカーの中からあえてこのSSKを主人公の愛車に選んだ理由も、まさにそこにあったのだと確信します。

体制に縛られず、権力をあざ笑い、己の腕と美学だけを信じて生きる怪盗ルパン。
彼が乗るべき車は、洗練されたスマートな移動手段であってはならなかったはずです。

手なずけることすら命がけで、ひとたびアクセルを踏み込めば地響きのような唸りを上げる鋼鉄の怪物──それこそが、ルパン三世という男の生き様を雄弁に物語るプロットデバイスだったのです。

今後、自動車の世界は電動化や自動運転の波に飲み込まれ、内燃機関が放つ生のエネルギーはますます手の届かない過去の遺産となっていくでしょう。

本物のSSKがオークションで何億円という値をつけ、美術館のガラスケースの向こうへ収められていくのも、文明の必然かもしれません。

しかし、たとえ実車をガレージに収めることができなくとも、町工場の手作業が生んだレプリカを駆るオーナーの笑顔の中に、あるいは夜な夜なプラモデルのシリンダーを塗り分けるモデラーの眼差しの中に、SSKが放った「魂の熱量」は確かに生き続けています。

車は鉄ではなく、人が注ぎ込んだ情熱と記憶でできている。
白象が遺した咆哮の残響は、これからも世代を超えて、自由とロマンを求める人々の胸を揺さぶり続けるに違いありません。


よくある質問

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※画像はAIによるイメージ

メルセデス・ベンツSSKの当時の新車価格はいくらでしたか?

当時の販売記録によると、シャシー(車体フレーム)単体で29,000ライヒスマルク、スポーツ2シーターのボディを架装した完成車状態で33,000ライヒスマルクでした。1920年代末の貨幣価値から換算すると、現在の日本円で優に1億円を超える超高級スポーツカーであり、当時の大富豪や特権階級のレーサーにしか購入できない特別な車でした。

ルパン三世が乗っていた黄色いSSKのエンジンは何ですか?

アニメ第1シリーズの設定資料によると、メルセデス純正の直列6気筒エンジンではなく、フェラーリ製のV型12気筒エンジンに換装されています。このカスタムにより、最高時速はノーマルの約190km/hから300km/hへと大幅に引き上げられているという、ルパンらしい過激な設定になっています。

SSKのレプリカは日本国内でも公道走行できますか?

光岡自動車の前身であるBUBUが製作した「BUBU クラシックSSK」など、ベース車両(空冷フォルクスワーゲンなど)の正規書類を備え、保安基準に適合した状態で車検を取得・登録している車両であれば、現在でも日本国内の公道を合法的に走行することができます。

メルセデス・ベンツSSKは、フェルディナント・ポルシェ博士の設計思想、レースでの無敵の戦歴、そしてルパン三世の愛車としてのカリスマ性が一体となった、自動車史上に残る伝説のモニュメントです。

本物の現存車が世界に数台という天文学的な価値を持つ一方で、先人たちの情熱を継承したレプリカや、細部までこだわり抜いて創るプラモデルを通じて、その魂に触れる道は今も大きく開かれています。

スペックや値段の向こう側にある、機械と人間の熱い記憶に思いを馳せながら、あなただけのSSKの物語をぜひ手元で紡いでみてください。

高坂 遼(自動車ライター|ドライビング・フィロソファー)

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